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そろばん収集の集大成

池田 つね子

 

はじめに

 私は、昭和34年に結婚し、東京都新宿区の親戚の家に住んでおりました。しかし、親戚の家は大通りに面し、熟睡できないほどの騒がしさでした。親として子供を育てるのに心配になり主人の会社の方のお世話で埼玉県富士見村(現・富士見市)へと引っ越すこととしました。

 宅地を購入し、新築住宅を建てると同時に、小さなそろばん教室も造ることとしました。昭和34年9月、畑の中の一軒家での新生活のはじまりでした。この頃の富士見村の人口は1万人弱といったところでした。

 昭和34年12月に長女が誕生し、そして昭和35年4月から、そろばん教室を開塾しました。授業時間は、1時間のつもりでしたが、生徒が増えたため2時間、3時間と増えていきました。幼子の長女は、生徒の親の紹介で面倒を見てくれる人を探していただきました。以後、長女を含めて3人の子供はお世話になりました。

昭和39年4月富士見村の人口が20,164人となり、町制が施行され富士見町となりました。昭和47年富士見町の人口が61,650人と増加し富士見市となったのです。

人口の増加に伴い生徒数も増え、通塾上の問題も起こり場所を移転しました。昭和53年4月富士見市鶴瀬東2-2-9から同2-11-47に移転し新教室での授業が始まりました。

昭和57年5月、友人が川越の成田山骨董市で、天1地5・13桁の携帯用そろばんを買ってくださいました。これがそろばんの歴史に関心をもった最初でした。

その後、珠算史研究学会があることを知り、難しそうな会だと想像していましたが、友人の勧めもあり入会することとしました。珠算史研究学会では、当時会長の鈴木久男先生には「私は本を精読する時間がないので、会員の話を聞くだけです。」と、申し出、許可を得ていました。この許可により、学会への出席も気が楽になりました。

毎月28日にある川越の成田山骨董市、年4回の平和島骨董市など全国から集まる骨董品を目がけて幾度も出かけました。江戸時代の算木、帳簿とそろばんを持った恵比寿・大国、長崎そろばん、大津そろばんなどかなりの資料はここで見つけました。

また、名工のそろばんは、珠算の全国大会の会場で毎年1丁ずつ買っておりました。

いつの間にか、たくさんの資料が集まり、自分なりに整理をしようと思うようになりました。そして、資料館の建設も考えましたが、あの尊敬する鈴木久男先生が造られた資料館も今はなく、後継ぎの大変さを認識しました。そこで、私は所蔵品を本にしようと決心し、写真を撮り始めたのです。写真を撮り始めてから5年の歳月がかかりました。

今般“そろばん資料収集の集大成”としてここに公表いたします。是非ご覧ください。

 

2014年5月8日

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